和泉日記 3クール目
- ★和泉 : 06/04/01 11:54
- ★和泉 : 07/05/31 (Thu) 23:52:48
あの頃の削除人体制は管理されることに慣れすぎていたのは事実だろう。
今の案内人みたいなモンだ。トオルが有能過ぎたんだな。
今の削除人があの頃より自発的自主的に動いているのはジェンヌ体制移行時に
ジェンヌが削除人統括としてアクティブではなかった時期があったのが大きいと思う。
んで、トオルを支持しない人にとってはSDというのは柱になりうる人材だったわけで、
派閥として分けようという意図を持つ人がSDの影響を受けるのは必然であったとだろう。
まさに一番効果的な水のかけ方だったわけだ。
まぁ、たぶんSDにしてみればそんなん必要なら自分でアクティブに動けって話で
言われたぐらいでグダグダになるならどうせアレだろうとかそういう話なんだと
思うが、当時、自分とかは管理人の体制がOFFでの交流をメインとしたしがらみに
よって構成されているものだと思っていたし、他の人もそうだったろうから
自分からアクティブに動くための敷居はかなり高く感じたんじゃなかろうか。
高嶺の花の生徒会長が好きだけど告白して振られたら気まずくなるから
声がかけられないとかそういう感じで。
- ★和泉 : 07/05/31 (Thu) 23:58:47
http://www.youtube.com/watch?v=1KcCKfk7ylQ
ワロタ
しかし、声優業界だけそういうのがないとか思ってた奴ってのは
どんだけドリーマーなんだと。そんな話いっぱい出てたじゃん。
んー、どっかの芸能人の話で「昼ドラとかすげー陳腐だなとか思ってたんですが、
芸能界だと実際にあって驚きました」とかってのを聞いたことがありました。
中島みゆきの自伝とかにもライブの前座でマンションのカギを開けておくとか
そういう話があったりしましたし。世の中色々と奥が深いもんです。ええ。
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 11:36:17
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 12:06:35
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 12:07:13
私たちは何を買っているのか。
もし私たちが有体物ではなく楽曲、有体物に依存しないデータそのものの利用権を
購入しているのであれば、私たちは例えばCDが割れるなど有体物の破損に対して
一定の補償が受けられるべきであるし、DVDからテレビへのデータ転送が許される
ようにCDからiPodに自由に移すなどの有体物に制限されない再生は前提として
認められるべきであって、現行のDRMなどの在り様は全面的に否定されるべきだし
多くのユーザが自身の持つCDなどの楽曲を自身のプレーヤーに移す行為に
対して権利団体が損失だとのたまう根拠はなくなる。
だが、多くの利用者はライセンスを購入したとは考えていない。
有体物を購入しているからこそ私たちは有体物の破損にたいして保障を受けられず、
また、JASRAC等もデジタルは劣化しないので云々という主張を繰り返している。
DRMなどはライセンスを販売しているものもあるが、通常明確に記述されてい
なければライセンスを販売しているとは考えられないため、ライセンスを売って
いるという主張をするにはそれを明示しないと消費者に対して不当な契約として
扱われてしまうだろう。
ソフトウェアでは実行時にライセンスの同意を取るものがあるが、これは海賊版や
コピーでのインストール利用者に対しては意味があるが、箱での購入者に対しては
無効となりうる。
ライセンスについての契約であることが箱に示されていないため消費者は
判断できない状況で購入せざるを得ないからだ。
このため、消費者は自身に有利な契約であると解釈することができる。
有体物を購入しているとすれば中のデータは私的利用のためであればある程度
自由にコピーできる、たとえば複数台のPCへの導入はライセンスいかんにかかわらず
前提として認められるべきだし、ライセンスを購入しているという話であれば
実行時にライセンスの同意を求められた際、拒否をして不当な契約の解除と
返金を求めることができるだろう。
MSのライセンスの扱いは既に後者になっていて、それ故にMSはプリインストールや
ライセンス条項に同意できない利用者への返金を行っている。
- ★i和泉 : 07/06/01 (Fri) 15:43:50
好感触だったが時間外は折り込み済みだと。
んー微妙だな。
しかし、腹の探り合い感が楽しかった。まだまだ発展途上の企業なんだな。
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 18:31:42
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 21:10:59
クラスとインターフェースの話。
自分は逆で、そもそも人間という存在自体もインターフェースであって、ゴーストと
呼ばれたりする何かの存在が人間だけに限らずクラスなんじゃないかと。
だから、キャラというものがインターフェースの実装であるというのには同意。
人間のゴーストは物に対して自己のゴーストを投影する。有機化合物でできた人形を
友達のように扱ったり、損得だけでなく感情として自然保護について考えたり、人間
以外のつまりゴーストを持たない物に対してゴーストを持つ者として扱うことができる。
それは必ずしも感情移入とイコールではないけれども、一般的なゲームの
キャラクターにはそれが必要だと思う。逆にゴーストを伝えうるなら
人間として理解できるインターフェースすら必要無い。
- ★和泉 : 07/06/01 (Fri) 21:11:45
仁王が埋まってて掘り出すって話はゴーストを認識できる形にするための
自分以外の人間に対するインターフェースを実装する手法についての
表現なんじゃないかと。
つまり、標準の木塊の段階では仁王というゴーストはまだ作者本人しかその塊に
投影しておらず(逆に言うと作者の中にはそのゴーストは存在している)、
それを他者が理解できる形に共有するための手段が仁王を
彫るということなのかも。
んで、当然逆のアプローチもあると思う。最初にインターフェースを実装し
そこからゴーストを導き出すという話ね。
ロボットなどに前提として異物というか人でないゴーストが投影されてて、
そこからそのゴーストが人間のようなゴーストに変化してくとかってありがちな
話とかもそういうアプローチの延長にあるんじゃないかとか。
ツンデレとかも最初はそういうところに魅力が発生する話だったのかもしれない。
人間のようなという表現を使ったけれども、実際には「人間のようなゴースト」と
いってもゴースト自体がバラバラなもので規定できないような気がするのはアレだ。
だから、「人間のようなゴースト」、よくキャラのリアリティとか言ったりするけれども
そういうのもナンセンスだろうってのは同じ意見で。
ただ、自分は人類の感動においてゴーストは重要な役割を果たしていて、
ゴーストをいかに扱うか、いかに感じさせるかというのが日本型ゲームや
アニメなどの肝となる部分だと思う。
まとまりのない文であれだが、そんな感じ。
あと、きみあるは単純にダメだと思う。何かが足りない。
- 〔★再見〕 : Limit1000
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